Story of GAKU

GAKUプロフィール

GAKUは知的障害を伴う重度の自閉症と多動症ゆえに、言葉を介したコミュニケーションには困難が伴う。そんな彼が16歳の時に突然絵を描き始めた。現在では年間200枚以上のペースで絵を描き続けている。

本名:佐藤楽音(がくと)。2001年5月1日生まれの自閉症アーティスト。川崎市在住。3歳の時に自閉症と診断され、4歳の時に、当時最新の療育を提供していたといわれるアメリカ・ロスアンジェルスへ家族で渡る。以後、9年間ロスで療育を受けながら過ごす。14歳の時、日本に帰国。

中学卒業後は、父親が彼のために設立した福祉施設『アイム』が運営するフリースクール『ノーベル高等学院』へ入学。そこでCocoと出会い、絵を描くことに目覚める。現在は、生活介護『ピカソ』に在籍し、日々精力的にアート活動を続けている。

自閉症の特性

GAKUは知的障害を伴う、重度自閉症と診断されている。言語能力は現在でも4~5歳程度でしかなく、言葉を介したコミュニケーションには困難が伴う。ただ、言語能力は低いものの、GAKUは幼い頃から自分の主張を遂行する計画性や人を動かす能力に長けていたため、「実はもっと賢いのでは?」というふうに周囲には思われていたという。 そして、最近になって、それを裏付けるようなことが起こる。高校生になった頃、GAKUは突然、幼少期に過ごした教室の細部の様子やクラスメイトの名前、その生徒が何をしたかを正確に言い出すなど、驚きの観察力と記憶力を見せたのだ。

「自閉症の人たちは私たちとは違う方法で物事を認識しているため、一般の知能検査では能力が測りきれない。私たちは、自分たちとコミュニケーションの取り方が異なったり、期待したアウトプットが出てこないと、「この子は理解していない」と決めつけがちだが、それは間違っている」(佐藤:父親であり『アイム』の代表でもある)。

GAKUが絵を描き始めてから、佐藤は確信したことがある。それは、自閉症の人は人一倍人に興味がある、ということだ。

「もともと自閉症の人は、人に興味がないとか、共感能力がないなどと言われるが、そんなことはまったくない。そう見えるのは、私たちがとるコミュニケーション方法を彼らがとらないから。GAKUを見ていると、いかに彼が人に対してコミュニケーションをとりたがっているかがよくわかる。そしてある時、GAKUは自分の特性を絵に転用すれば人とコミュニケーションがとれることに気づいた。GAKUの絵は、世間に対しての彼のコミュニケーションそのものだ」(佐藤)。

GAKUが絵を描く原動力には、彼のコミュニケーション欲求もあるが、同時に、自閉症としての特性も大きく影響している、と佐藤は考えている。例えば、絵具のチューブを一本開けたら全部絞り出したいとか、缶を一度空けたら全部カラにしたいなどという強いこだわりあっての絵である、と。また、下地塗りをきれいに均一に仕上げるのも、ムラを残したくないというこだわりが影響している。さらに、描くスピードが異常に速いのも、特性である集中力の高さによるものが大きい。そのせいか、GAKUの絵を買ってくれた人からは、よく「絵からものすごいエネルギーを感じた」と言われることが多いという。

「彼の描く絵には、自閉症の特性がそのまま転用されている。自閉症のGAKUも絵を描くGAKUも、同じGAKUだ」と考える佐藤は、自閉症の特性を変えようとするのではなく、周囲の環境をGAKUに合わせて整え、彼がアウトプットを出しやすい環境を作った。GAKUのアート活動は、それがうまくいった一つのケースだ。

ただし、GAKUはプロのアーティストとして活躍する一方で、日々の生活は自閉症の特性である強い衝動性や極度なこだわりとの闘いという面も持っており、家族や周囲の支援者の大変さは計り知れない。だが、「絵を描いている時間以外のGAKUは、まるで核融合が起きているかのよう(笑)。それは、彼が生まれた時から今まで一貫して変わらない」と言って笑い飛ばす佐藤から悲壮感は微塵も感じられない。そこには、GAKUの絵の根底にある明るさとユーモアがあった。

古田ココ(通称:Coco)との出会い

GAKUの絵画の才能を開花させたのは、古田ココ(通称:Coco)だ。Cocoは、GAKUが16歳の秋、『ノーベル高等学院』にスタッフとしてやってきた。自身の弟がプラダー・ウィリー症候群という知的障害を伴う先天性の障害者であったCocoは、セカンドキャリアとして障害に関わる仕事を望んでいた。

その頃のGAKUは、父親が経営する放課後デイサービスに通う子たちの中でも、一番の暴れん坊と言われるほどだったが、逆にCocoはそんなGAKUに興味を持った。そして、自分から『ノーベル高等学院』でGAKUを担当することを申し出た。その理由を「多分、私の一目惚れ」とCocoは笑って振り返る。

「放課後デイの遠足で初めてGAKUに出会った時、確かに大変そうではあったが、同時に、とても魅力的な子だなと心惹かれた。GAKUは笑顔が何より魅力的で、クスっと笑えるイタズラの仕掛けがうまく、一瞬にして心を掴まれてしまった。その後、教室で再度会った時、私のことを覚えていてくれたGAKUが、「ココさん」と言って目を合わせてくれたことはとても印象的だった」(Coco)。

当初、『ノーベル高等学院』でのGAKUは、学生らしい生活は送ってはいなかった。5分と座っていられない性分なので、突然外に飛び出して一周走って帰ってくるなど、自由に1日を過ごしていた。しかし、Cocoは、GAKUの行動を見ていて、彼には検査で測り得ない知的センスがあると直感的に見抜いた。まずは今後の指針を立てるためにも、GAKUにどれくらいの学習能力があるのか知りたいと思った。

そこで、試しに小学校受験用の問題集をやらせてみたところ、予想以上にGAKUは問題を解くことができた。正解して褒められたことがうれしかったようで、積極的に問題に取り組んでくれた。とはいえ、勉強で結果を出すことはGAKUの目標ではない。Cocoは、GAKUの内なる世界を外に伝えるための、言葉にかわる新たなコミュニケーションツールを探し出したいと強く思うようになった。

GAKU、絵の世界に足を踏み入れる

ところで、『アイム』に入社する以前のCocoは、いくつかのパリコレ参加メゾンのデザイナーとして、30年以上活躍してきたというキャリアを持つ。そして、父が画廊を経営し、幼い頃から絵画に慣れ親しんだ環境で育った。「私がGAKUに伝えられることは、ファッションと絵画しかない。ファッションは他者とのコミュニケーションをとりながら作っていく仕事なので、GAKUには向かない。でも、自己完結型の絵画なら、彼のコミュニケーションツールになれるかもしれない」とCocoは考えた。

そこで、CocoはことあるごとにGAKUに画材や絵画に触れさせる機会を与えた。だが、当初のGAKUは絵を描くことに興味を示さなかった。絵具で手が汚れることを嫌がったからだ。そこで、Cocoは画材をクレヨンに変えた。そうして、はじめてGAKUが描いたのは、大好きな『ベイビー・アインシュタイン』の絵。Cocoは、キャラクターの形をしっかりと捉えたGAKUの絵に可能性を感じた。

ある時、CocoはGAKUを渋谷東急ハンズへ連れて行った。絵具が整然と並んだ、この店の画材売り場はCocoのお気に入りの場所で、GAKUがどんな反応を示すのか興味があったという。GAKUは絵具の棚の前に座り込んで、じっと眺めながら、絵具のチューブを指でそっと撫でたりしていた。美しい色のグラデーションに、GAKUは、赤にもいろいろな赤がある、青にもいろいろな青があるということを知った。

その後、購入した絵具を、しばらくは並べたり触ったりして楽しんでいたが、それを使って絵が描けることを教えると、GAKUは少しずつ絵を描き始めるようになった。それらを見て、CocoはGAKUには絵のセンスがあると確信を持ち始めた。そんな時、GAKUに運命の絵との出会いが訪れる。

GAKU、岡本太郎美術館で『太陽』の絵に出あう

『ノーベル高等学院』の校外授業で、GAKUがCocoと岡本太郎美術館を訪れた時のこと。それまで激しい多動で、5分としてじっとしていられなかったというGAKUだったが、岡本太郎の一枚の作品の前で立ち止まり、心を奪われたかのようにしばらくその絵に魅入ったという。

そして翌日、突然「がく、絵描く!」と精力的に絵を描き始めた。それを見たCocoは衝撃を受けた。なぜなら、GAKUが岡本太郎の象徴である『太陽』の絵を描いたからだ。それまで、CocoはGAKUに岡本太郎についての説明は一切していなかった。だが、GAKUには、岡本太郎の絵画からそのエネルギーを感じ、彼なりに理解し、自分らしく絵で表現する力があったのだ。

その時、GAKUが描いた『太陽』は、レッド、ブルー、グリーン、パープル、オレンジと実にカラフルだ。「彼にとって太陽はひとつではない。彼は世界を独自の視点でとらえており、それを見事に表現した」(Coco)。

この絵をきっかけに、GAKUはアーティストとしての道を歩むことになる。

GAKUの作風

初期のGAKUの絵は、まず画面を分割して塗り分けることからはじまった。そこで、Cocoがベースとなる色を塗ったら、その上に色を重ねて塗ってもよいことを教えると、丸を描き始めた。はじめの形が丸だった理由を、Cocoは「丸は人間にとって一番心地よい形。赤ちゃんが丸い物を好きなのと同じように、彼の最初の一歩に相応しい形だった」と考えている。

その後、丸から派生して楕円、四角、長方形、正方形、ストライプ、ライン、点…(ちなみに三角はバランスをとるのが難しいのか、彼にとって心地よくない形なのか、描かない)などの単純な形を組み合わせて絵を構成しはじめた。「大きさ、色、順番、筆のかすれ…それらの組み合わせによってまったく違う絵になる。僅かこれだけのバリエーションでこれほど幅広い表現ができることに驚いた」(Coco)。

GAKUは絵を描きはじめる時、まずはベース色をきれいに塗る。お気に入りのベース色(グリーン、ブルー、オレンジ)もあるが、何色を塗るかはその日の気分次第。必ずある一定期間は同じベース色を塗り続け、それが10枚ほどたまると、3~4枚キャンバスを並べて絵を同時に描き始める。どうやって描き分けているのかはCocoにもわからないが、それぞれ同時に描いて同時に完成させる。

動物園や水族館に行った後は、動物や魚を描くことも多い。細かい形がわからない時は、Cocoに頼んでインターネットで画像を検索してもらい詳細な形を確認する。ちなみに、最初に描いた動物はヒヨコ。横浜にある体験動物園のオービィ横浜に行った時、ヒヨコを見たことがきっかけだった。「「ヒヨコが描きたい!」という気持ちが強かったせいか、GAKUは紙一面を「ヒヨコ色(黄色)」に塗ってしまい、その後どうしたら良いかわからなくなってしまった。描き方がわからず苦しんでいたが、私が「黄色の上に線描きで描いてもヒヨコに見えるかも…」と言うと、黒のアウトラインのみでひよこの絵を描いた。黄色い紙の上に黒い線描きの三匹のヒヨコと、画面のバランスを取るようにいくつかの赤い丸の描かれた、かわいらしい作品ができあがった。この経験からか初期は黒いアウトラインを描いて動物を描くことが多かったが、次第にアウトラインなしで描いたり、モチーフの上に動物を描いたり、頭と胴体を区切ったり、いろいろな動物の描き方を取得していった」(Coco)。

このように、絵のモチーフ、構図、色、筆使い…絵に関することについては、すべてGAKUは自分で決めて描いている。CocoがGAKUに教えていることは、美術的な技法ではなく、絵を描く楽しさと表現の自由さ、絵画を通じて伝えられることの可能性だ。「絵は、彼にとって日々の会話のようなもの。伝えたいこと表現したいことを、話をするかわりに絵という手法を使ってキャンバスの上で表現しているだけ。彼の作品の幅広さは、彼の内なる世界のふり幅の広さを表している」(Coco)。

Cocoの思い
「彼の一番の才能は、誰からも愛されること」

CocoにGAKUのことを尋ねると、必ずといっていいほど、その魅力あふれる人となりを語りだす。

「GAKUは人間味あふれた、とても魅力的な子。人の心を読み取る能力が高くて、時々、最後に笑いをとっておくような絶妙ないたずらを仕掛けてきたりして(笑)、一瞬にして人の心を掴んでいく。GAKUの一番の才能は、誰からも愛されることではないかと思うほどだ。

GAKUはたまたま自閉症に生まれて、たまたま言語能力が低かっただけ。私はたまたま自閉症ではなく、たまたま言語能力が低かったわけでもない。二人の関係においては何も優劣はなく、師弟関係でもないと思っている。その対等な関係性の上で、私の役割は、GAKUの表現の幅を広げることだ。GAKUが今までためてきた気持ちをどんな画材だったら表現できるのか? より心地よい環境作りはどうすれば良いのか? それを探るために、彼と話し合い、新しい画材を定期的に与え、物理的にも心情的にもフィールドを広がるだけ広げて、その中からGAKUがやりたいものを改めて吟味すればいい」(Coco)。

GAKUに出会ってから、3年。この間、目覚ましい成長があったという。

「以前は、普通に一緒に歩くことも難しく、脱走しないように常に手をつかむようにして歩いていた。一方的に言いたいことを言うだけで、会話はほぼ成立しなかったが、終始おしゃべりをしている明るい少年であったことは今と変わらない。今、絵を通してコミュニケーションをとれることを知ったGAKUは、自分の内なるものを発する心地よさ、人に伝わることの楽しさ、人と繋がることの喜びを知った。それに伴って、人との会話も楽しむようになり語彙もとても増えた。もちろんルーティン化した会話も多いが、私たちの会話はいつも笑いが絶えない。精神的にもとても成長し、徐々に気持ちも安定してきた。絵を描くことは、GAKUの自然成長を確実に加速させていると感じている」(Coco)。

         

20歳を超えたGAKU。思春期の多感さや複雑な感情は、健常児と同じようにGAKUにも生まれてきている。Cocoは、GAKUにはそんな葛藤や負の気持ちも表せるアーティストになってほしいと願っている。

「GAKUの心が成長するにつれて、絵も変化してきている。最近、GAKUは絵を描いていて気持ちが高ぶってどうにもならなくなると、「教えて!」と私に訴えるようになった。多分、GAKUは何かを教えてほしいのではなく、私に「教えて!」とぶつけることで私にあえて違うことを言わせ、「いや違う!自分はこうしたいんだ!」と、より強い自分の意志を引き出すための確認作業をしているのだと思う。プロのアーティストとしての自覚が育ってきて、もっと上手に描きたい、もっと認められたい、という欲が増してきたのだろう。

GAKUが今後も成長し続けるためには、何よりインプットが大事。洗練されたものや芸術性の高いものを見たり、いろいろな経験をしたり…その結果、GAKUが何を見て何を感じ取るかは彼の自由。GAKUが見たものを自分の中でどういうふうにアレンジしてアウトプットしてくるのかは、私にもまったく予想ができない。なぜなら、彼はいつも私の想像をはるかに飛び越えてくるから」(Coco)。

佐藤の思い
「彼の絵は世間への問いかけである」

GAKUのアート活動について何が言えるか? という問いに佐藤はこう答える。
「重要なのは、GAKUが絵を描いたことではなく、一つは、自閉症の特性を彼自身が理解して絵に転換することに気づいたこと。もう一つは、周囲が彼の自閉症特有の問題とみなされる行動を問題とみなさず、彼の特性に合わせて能力や感性を発揮できる環境を作ったこと。そして最後に、マイノリティと呼ばれる人たちをどう受け入れるかという意識の問題がある」(佐藤)。

今、世の中では、ダイバーシティというマイノリティの人たちの多様性を認めることが求められているが、佐藤はこれを『クリエイティブ・ダイバーシティ』と呼んでいる。

「マイノリティの人たちというのは、多数派の人たちの常識とは異なる感覚を持っているので、その感覚を理解することは難しい。例えば、LGBTではない人はLGBTの人の感覚を理解することは絶対にできないだろう。でも、世の中にそういう人たちがいるのは事実だ。では、彼らをどう理解して受け入れるか? そのために必要なのが、受け手側のクリエイティブさだ。自分たちの既成概念から外れたことにも、「多分こうなのでは?」と考えられる想像力、そして「あぁ、そうなんだ」と考えられる柔軟性が必要となってくる。つまり、ダイバーシティの問題は、受け手側がクリエイティブでないと解決しない」(佐藤)。

そう考えると、これは社会全体のテーマとなってくる。

「それを考えるきっかけとして、GAKUの作品がそこにある。GAKUの絵は彼の描きたかった絵ではなく、それを超えて、言葉を持たないGAKUから世間に対しての問いかけとして接点だ。彼は言葉では問いかけができないが、絵であれば問いかけができる。自分の自閉症をどう受け入れてほしいか、自分の感性をどう認めてほしいかというリクエストが彼の絵を通じてこちら(健常)側に問いかけられたわけで、彼の絵をどう解釈して受け入れるかは、こちら(健常)側のクリエイティブさが試されているのだ」(佐藤)。

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